これはF1と脳科学についての記事です
この記事は、初めはQCのPDCAがうまくまわらない理由を脳科学的に考える回になるはずだったのだけれど……例としてレッドブル・レーシングの現状を扱おうと思ったらなんだかそれだけで面白くなってしまったのでQC成分がどこかに行きました。
- これはF1と脳科学についての記事です
- 今(2026年1月)のレッドブル・レーシングの状況って?
- なんでこれが注意プロセスと関係があるの?
- 結局、レッドブル・レーシングでは何が起きたのか?
- ちょっとだけQC成分を付け加えつつ、まとめらしく
今(2026年1月)のレッドブル・レーシングの状況って?
マックス・フェルスタッペンという1人の天才ドライバーと、奇才エイドリアン・ニューウェイが手掛けたRB19という圧倒的に速いマシンを手にしたレッドブル・レーシングは2023年に「22戦21勝」という、人類のモータースポーツ史上類を見ない成功を収めた。だが、その後は他のチームのマシン改善に見合った開発ができず、さらにペレス、ローソン、角田と立て続けにセカンドドライバーの首をすげ替え、とうとう2025年シーズンでフェルスタッペンのドライバーズタイトルを失ってしまった。チームからはニューウェイをはじめとした主要なメンバーの離脱が続いており、2026年シーズンもどうなることやら……と、シーズン前テスト走行で、今期セカンドドライバーになったハジャーがさっそくマシンを大破させたぞ?
なんでこれが注意プロセスと関係があるの?
※この記事は筆者の注意プロセスモデルによる解釈で、事実がそうだと断言しているわけではないので注意。
この状況、チームの置かれている状況がメンバーの注意プロセスに影響した結果なんじゃないかと考えられる。具体的には注意プロセスに大きな影響を与える脳内の情動系物質、ドーパミン(以下DA)とノルアドレナリン(以下NE)の影響だ。
DA・NEと注意プロセスの関係って?
このブログでは注意プロセスをざっくりと、
- 内的資源(記憶・思考・想像)に基づいて注意対象を決めることが基本。
- 強い外的刺激があると、その注意を「奪う」ことがある。
とモデル化してきた。ここで、このモデルをもう少し精密にしてみよう。
- 内的資源による注意の強さは、(脳が既に対象に割り当てている脳の資源の量)×(注意強化因子:DAレベルと過去の学習結果)で決まる。
- 外的刺激による注意の強さは、(外的刺激の強さ)×(注意強化因子:NEレベルと予測される結果の重大性)で決まる。
- 注意資源の量(注意の総量)は、DAレベルやNEレベルが高いと増加する。
- 脳は、注意資源を(内的資源による注意の強さ)×(それに関連する外的刺激による注意の強さ)の大きさに応じて配分する。
このモデルを使って、いくつかの状況を説明することができる。
ケース1:深く考えごとをしている人に声をかけたが気付いてくれない。
平たく言えば思索とは、脳内にある外界の予測モデルを精密化するために「脳PDCA」を繰り返しシミュレーションによって回すことといえる。人の注意が予測可能性が低いモデルに向いているとき、「トニックDA」レベルが高くなり内的資源による注意が強化される。その結果、相対的に外的刺激による注意の影響が小さくなって注意資源の配分が少なくなり、「声をかけても気付かない」状況になる。
ケース2:隣の部屋の物音が気になって勉強に集中できない。
あまり興味が向かない(DAレベルが高まらない)科目の勉強であったり、ストレス状態(コルチゾールがNEレベルを引き上げる)だったりすると、外的刺激による注意の強さが高まる。「隣の部屋の物音」というささいな外的刺激が生存の危機のように強調され、内的資源による注意(勉強)が不十分になる。
ケース3:交通事故の瞬間、ドライバーの見る景色がゆっくり流れる。
自動車の運転操作というのはすぐに車の挙動としてフィードバックされるため、運転中の脳は車や交通状況という予測モデルを常にテストし続ける状況に置かれることになる。交通事故につながるような状況(モデルの急激な不安定化)はモデル最適化のためのDAレベルの大幅な上昇と危険が引き起こすNEレベルの爆発的上昇をもたらす。覚醒レベルが頂点に達した脳はその資源をすべて対象に振り向け、関連する状況を全て認識できるようになるだろう。これが時間がゆっくり流れるように感じられる、という感覚の正体ではないだろうか。いわゆる「ゾーンに入る」というのはこのような緊急事態とは異なるけれども、DA・NEがともに高まって注意資源が多くなった状態なのかもしれない。
ケース4:寝起きが悪い人に「もう遅刻だよ!」と言っているのに反応が鈍い。
寝起きの悪い人は起床しても副交感神経優位になりにくくNEレベルが低い状態だ。また起床直後は予測モデルの探索といった活動自体が開始されておらずDAレベルも低い。注意資源が乏しい状況なので「遅刻」という重大な外的刺激を与えてもうまく反応できずボーッとしていたりする。さらに強く「だから!遅刻だって!」と大声をかけるとNEレベルが急上昇してパニック的な反応を見せる場合もある。
組織の雰囲気と注意プロセス
先ほどの4つのケースを組織に当てはめると次のようにまとめられるだろう。
| 情動系物質 | 組織の状態 | |
|---|---|---|
| エキサイティングな組織 | DA↑NE↑ | 士気が高いが脱落者も出る。 |
| 生産的な組織 | DA↑NE↓ | PDCAが上手く回るが内向的になりすぎる場合もある。 |
| ブラックな組織 | DA↓NE↑ | 失敗が属人化し、相互監視が強くなる。 |
| 停滞した組織 | DA↓NE↓ | 刺激がない、または無視する。衰退につながる。 |
組織の雰囲気がメンバーの情動を左右し、その結果、メンバー個人ひいては組織全体の注意プロセスに影響が及ぶのだ。
結局、レッドブル・レーシングでは何が起きたのか?
組織が「お祭り状態」だとメンバーのDA、NEはともに高レベルとなり、組織全体の注意資源が最大化して困難な課題が達成される原動力となる。このような課題達成の物語は美談として数々語り継がれているが、その組織のその後に幸せが待っていたケースは少なく、それどころか多くの組織を待つのは凋落と崩壊だ。
注意資源配分の歪みが集団を壊す極端だけれども典型的な例が革命だろう。革命の目的意識と興奮はDA、NEを激しく引き上げその勢いのままに革命は達成される。革命が達成されると、目的意識は失われてDAレベルは低下するはずだ。一方、革命達成直後の不安定な社会情勢はNEレベルを高レベルに保ってしまう。これは、外的刺激に注意が向き続ける警戒状態だ。人に対する疑心暗鬼、失敗者への糾弾、それらが行き着く先はロベスピエールの恐怖政治だったり、スターリンやクメールルージュの虐殺だったり……これは繰り返し歴史が証明している。
さて、冒頭のレッドブル・レーシングに戻ろう。2023年シーズンの圧倒的な勝利をもたらしたのは勝利への強い目的意識(DA↑)と熱狂(NE↑)だ。しかし、最も速いドライバー×最も速いマシンという勝利の方程式は、チームから目的意識を失わせただろう(DA↓)。そうすると、チームはこれまでのやり方(勝利をもたらした「モデル」)を捨てられなくなり、マシンの開発は停滞してしまう。一方で、2023年シーズンの実績は、2024年以降の敗北を許さないという強いプレッシャーをチームに与えることになる(NE↑)。ライバルのマシンの進化により勝利が脅かされるようになると、チームは互いに疑心暗鬼を抱くようになり、失敗の責任の矛先は個人に向けられる。その結果がセカンドドライバーの相次ぐ交代、主要なメンバーの離脱なのだ。
今のレッドブルにとって、カーボンファイバーの破片を拾い集めることよりも困難なのは、散り散りになったエンジニアたちの『注意資源』を再び未来へ向けさせることなのかもしれない。
ちょっとだけQC成分を付け加えつつ、まとめらしく
レッドブル・レーシングもPDCAサイクルを(暗黙にせよ)回しているだろうけれども、注意プロセスがぶっ壊れていては正しく改善対象を定めることはできない。彼らは壊れたPDCAサイクルを回し、凋落したといえるだろう。これは対岸の火事ではない。「成功しなければ」という強迫観念(NE)に追い詰められ、日々の改善の喜び(DA)を忘れたとき、私たちの脳内でも「小さな恐怖政治」が始まる。
この「情動の奴隷」状態から注意プロセスを奪還するための3つのステップを提案したい。
- 「異常値」を愛する(NEのパージ): 失敗を個人の責任にせず「システムの異常」と捉える。管理図を眺めるように、自分や他人のミスを淡々と観察すること。
- 「不十分」を燃料にする(DAの再点火):「最終目標」や「過去の成功の再現」を目指すのではなく、「今日の改善」を報酬にする。ピークに到達すれば、あとは落ちるだけだ。
- 意図的に「解散」する(リセット): プロジェクトがピークを迎えたら、脳内モデルを一度フォーマットする。過去の勝ちパターンを捨て、新しいモデル構築の旅に出ること。
2026年、レッドブルが再生するか、それともこのまま崩壊するかは分からない。あなたやあなたの組織は、どうだろうか?一度もピークに至っていなくても、注意プロセスは簡単に情動に流されるぞ。