
美しい死という感覚、分かるよね?
私たちには間違いなく死に「美」を見出す感覚がある。
例えばフランダースの犬で描かれたネロとパトラッシュの最期は半世紀も前に放送されたものなのに、今だに名シーンとしてよく知られている。このシーンに悲しさだけではなく美しさを感じる人は多いはずだ。
この作品、舞台はベルギーだけれども、現地ではほとんど知られていないそうだ。ネロとパトラッシュの死の美しさが文化的に共有可能だとすれば現地へのフィードバックがあっても良さそうなのに、どうもそうではないらしい。
それどころか、アメリカで出版・実写映画化されているフランダースの犬は、ラストが改変されていて死亡シーンがない。
これは、日本人には欧米人とは違う死への美的感覚があるからなのかな?
古事記見てみようぜ、一番古い日本語資料だからな
古事記は日本に残る最も古い歴史書として有名だ。その中巻、景行天皇記にはよく知られた倭建命(ヤマトタケル)の物語が記されている。
以下では武田祐吉による現代語訳「古事記 現代語譯 古事記」を引用しながら、美しい死、らしいものを紹介してみる。
熊曾建の死:名を贈り、残酷に死ぬ
クマソ征伐では、女装して宴に潜入したヲウス(ヤマトタケルのもとの名)は鼻の下を伸ばして油断したクマソタケル(兄)を宴席で殺し、逃げる弟を追ってその尻から剣をブッ込んだ。クマソタケル(弟)が「言いたいことがあるから剣を動かすな」と言うので凶暴なヲウスも一旦話を聞くことにしたらしい。
そこでそのクマソタケルが、「ほんとうにそうでございましよう。西の方に我々二人を除いては武勇の人間はありません。しかるに大和の國には我々にまさつた強い方がおいでになつたのです。それではお名前を獻上致しましよう。今からはヤマトタケルの御子と申されるがよい」と申しました。かように申し終つて、熟した瓜を裂くように裂き殺しておしまいになりました。その時からお名前をヤマトタケルの命と申し上げるのです。
英雄の物語では、敗けた側が英雄を強者だと認めて誉める話や、英雄が神などから名を贈られるという話は珍しくない。けれどもそれらの組み合わせ、つまり敗者が英雄に名を贈るというのは相当珍しい。それに加えて、熟した瓜のように引き裂かれてしまうという劇的な最期。クマソタケル(弟)の死に様は美しい死の原型の1つかもしれない。
弟橘比売の死:予約的殉死
オトタチバナヒメの死は古事記を通じて印象的な死の1つだ。東征中に海を渡ろうとしたヤマトタケルは、渡の神が立てた波のせいで船が進まなくなってしまう。そこでオトタチバナヒメの取った行動がこうだ。
その時にお妃のオトタチバナ姫の命が申されますには、「わたくしが御子に代つて海にはいりましよう。御子は命ぜられた任務をはたして御返事を申し上げ遊ばせ」と申して海におはいりになろうとする時に、スゲの疊八枚、皮の疊八枚、絹の疊八枚を波の上に敷いて、その上におおり遊ばされました。そこでその荒い波が自然に凪ないで、御船が進むことができました。そこでその妃のお歌いになつた歌は、
高い山の立つ相摸さがみの國の野原で、
燃え立つ火の、その火の中に立つて
わたくしをお尋ねになつたわが君。
人柱伝説では無理やりだったり、仕方なかったりという理由で人柱になるということが多くて、自分から人柱になるというのはレアケースだ。この純粋な自己犠牲も「美しい死」の1つといえるだろう。
このシーンは描写も美しい。
荒ぶる海という「動」と、3種の畳を八枚ずつ敷いてその上に降りるという「静」の対比。
海難という「水」と、歌に登場する「火」の対比。
歌の美しさを見るために、翻訳ではなく書き下しも書いておこう。
さねさし 相武の小野に 燃ゆる火の 火中に立ちて 問ひし君はも
焼津で火攻めに遭ったヤマトタケルが見せた気遣いへの、感謝を詠んだ歌だ。彼女は海神に殉じて死んだのではなく、愛に殉じた。実に美しい死だと思う。
倭建命の死:歌で装飾された気高い魂
その後、ヤマトタケルは伊吹山の神に対してイキったせいで大ダメージを負い、死んでしまう。
この死は、歌に彩られている。まず、死の直前にヤマトタケルは連続して4つの歌を残している。その1つ目の歌は特に有名だ。
やまとは 國のまほろば たたなづく 青垣 山ごもれる やまとしうるはし
亡くなった後、墓を作って遺族が嘆きの歌を詠うと、ヤマトタケルは大きな白鳥になり大和へと飛び去っていく。それを追いながらさらに3つの歌が詠われた。この死には白鳥への(穢れた死体から純粋な美への)変身という美しさだけではなくて、死を挟んで4つずつの歌に飾られるという、はっきりした表現の美しさがある。
古事記ではヤマトタケルは「厠に入った兄を襲って手足を折り簀巻きにして投げ捨てる」という乱暴をしたことにドン引きした天皇に疎まれ、各地への征伐に送られた。東国征伐への出発のときには「オヤジはオレに死ねばいいと思ってるんだ」と嘆いてもいる。このような経緯は、後の源義経の悲劇性(判官びいき)にも通じていて、死の美しさを増しているようだ。
「美しい死」って結構プリミティブな感性なんじゃね?
強者からの名の継承と凄惨な最期、愛に殉じた人柱、歌で装飾された穢れなき白鳥――古事記に描かれた美しい死は、確かに美しいけれども私たちが期待する美しい死のテンプレートとは少し違うような気もする。
それはともかく、古事記というこれ以上遡ることができない古い記録に、死と美の結びつきが描かれていること自体は確かだ。
「美しい死」の感性というのは私たちが思っていたよりずっとプリミティブなものなのかも知れない。
平安貴族はどうだったよ?
古事記・万葉集(奈良時代)より後、平安末期以前には、どうやら「美しい死」というのはほとんど描かれていないらしい。
その理由の1つは仏教だろう。仏教の教えでは死んだ人は白鳥にはならないし、オトタチバナヒメがしたような自死は「出家」という社会的死でも代用できるようにった。
律令制という社会システムが行き渡って武力の競い合いがオワコンになったことも大きい。蝦夷征伐などは引き続きあったけれども、そのような殺生は仏教の価値観的に文学などには積極的に描きにくかったはずだ。
死を美しく描かなかった平安貴族にとって、死はただの恐怖だっただろう。その恐怖が生み出したのが「祟り」……なのかもしれない。
「祟り観」があったら死は美しく描けないわなあ
菅原道真の祟りで都がパニックになったように、平安貴族が祟りをメチャクチャ恐れたことは有名だ。源氏物語の六条御息所などは「生霊」として人を呪い殺すヤバい女として知られている。
死者(菅原道真)ばかりか生者(六条御息所)までもが祟るということは、平安貴族の「祟り観」を理解するヒントになりそうだ。六条御息所の呪いは言いかえれば情念の暴走だ。平安貴族は、強い情念は死んでも暴走し続けるんじゃないかと思っていたのではないかな。
平安貴族の間で浄土信仰が流行したのは、死後に自分の情念が暴走して怨霊に堕ちることを恐れたせいなのかもしれない(逆に、阿弥陀と縁を結べないと怨霊になるという恐れ方だったかもしれない)。でも、浄土は現世にはないし、阿弥陀如来は死後にしか救ってくれない。そうなると、死は浄土と祟り(穢れ)の分かれ道ということになる。死を美しく描く余裕なんて、あるわけがない。
平安貴族の祟り対策って浄土信仰以外にもあったかも?
そんなわけだから、平安文学では死のシーンは直接的には描かないのが普通だったようだ。例えば源氏物語では主人公の死を「雲隠」という「タイトルだけで内容がない巻」で表現している。
とはいえ「美しい死」の描写っぽいものが全然ないかというとそうでもなく、和歌の中にはこんなものもある。
手に結ぶ 水に宿れる月影の あるかなきかの 世にこそありけれ
これは古今和歌集の編者として知られる紀貫之の辞世と言われているものだ。死を前にして、一掬いの水に映る月影を人の生死の頼りなさに重ねる──平安中期に、すでに阿弥陀仏に縋るだけではない、無常観で耽美な情景を描いている。
夜もすがら 契りしことを忘れずは 恋ひむ涙の 色ぞゆかしき
こちらは悲痛な美しさだ。一条天皇の后だった藤原定子は、政治的事情で帝から引き離され孤独な死を迎える。そんな彼女が縋ることができたのは、確かに交わした愛の絆しかなかった。それで、自分が死んだら帝の涙が色──いわゆる血涙というやつだ──に染まっていることを期待する、そんな歌だ。
この歌の恐ろしいところは、「色ぞゆかしき」と表現し、死んだ後に相手の愛を試そうとしている凄絶さだろう。私の情念は怨霊になる寸前だ、あなたが血涙を流さなかったその時は……この歌は過去イチ美しい脅迫状だった、と言ったら言い過ぎだろうか?
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの よわりもぞする
平安末期の歌人、式子内親王のこの歌は百人一首に含まれるから多くの人が知っている。この歌が有名なのは、これが「死」に対する平安歌人の最終回答だからなのかもしれない。
「忍ぶ恋という情念」を無常観というフィルタに通すと、いずれ薄れていく、逆に抑制(忍)が外れ暴走する、という予想になる。だから、情念が最も美しい今のうちに、それを死によって凍結されることを願った……これは、そんな歌ということではないかな。
私はこの「死による凍結」という無常への抵抗が、不滅性を獲得した「美しい死」の正体なのではないかと思う。
最初の問いに戻れば、ネロとパトラッシュが生きて幸せを掴むことを望んだアメリカ人に対し、日本人はその美しい絆が死により凍結され永遠のものとなったことに感動したというのが私の解釈だ。
そして平家物語へ
古事記の時代には既にあった死を美しく飾るプリミティブな感覚は、仏教思想+身体的闘争がオワコン化したことで、平安時代には祟り・穢れという感覚に一旦は塗りつぶされた。
それとは別に、平安時代に徐々にできあがった無常観と、情念が怨霊となり果てることへの恐怖は、死による情念の凍結という新しい「美しい死」の形を生み出した。
その「死による凍結」をこれでもかとてんこ盛りにしたのが、平安時代の終焉を描いた傑作、平家物語だ。
平家物語に描かれた「美しい死」はちょっと語りだすと長くなりそうなので、別の機会に改めようと思う。








