読む毒の配布場所

品質管理(QC)について深く考えていたら脳科学や社会システム、社会問題なんかが侵食してきたのでそれを吐き出していきます。

「PDCAは時代遅れ」だなんて言う、その口でルマンドを食べるな。

今回は脳科学味も毒も薄めの記事です。

「いつもの味のまんじゅう」はどうして価値があるのか?

QCの文脈では、品質とは、私たちが「物事がそうあるべき/そうあってほしい」と描く期待に対して、実態がどの程度一致しているかという「適合の度合い」のことだ。よく混同されるけれども、「高級感」や「高度な技術」などは、それ自体は品質とはちがう。

例えば和菓子屋さんでまんじゅうを買うとき、私たちの頭の中にはあらかじめ期待されるまんじゅう像がある。これは「究極のまんじゅう」という意味ではなく、「この店のまんじゅうなら、これくらいの味・形・値段だろう」というまんじゅうのモデルだ。そして、見た目、におい、味、価格など、まんじゅう(とそれに付随する店舗のサービス)の各特性が脳内まんじゅうモデルに近いほど「品質が高い」というわけだ。

このまんじゅうモデルは、脳科学的には「外界モデル」と言い換えできる。脳は購入によって得られる報酬(外観の満足度や味など)を予測して実際の結果と比較する。この報酬予測誤差を小さくすることは脳活動の大きな目的の一つだ。「いつも通りのまんじゅう」は、予測誤差が少なくて脳資源を浪費しない、安心なまんじゅう=品質が高いとなる。

逆に、「容器にまんじゅうが貼り付いて、破れていた」というあからさまな不良はもちろん、「いつもと味が違う」「値上がりしていた」といった期待を裏切る事実があれば、悪い予測誤差をともなう残念なまんじゅう=品質が低いということになる。

顧客一人一人が形成する外界モデル=「その品物・サービスのイメージ」は少しずつ異なっているが、長く安定して顧客の期待に応え続ければ、その差異が小さくなり一つのモデルに収束するだろう。これが「ブランド」の正体なのではないか。

いつもよりおいしいならいいんじゃないの?

特性によっては期待されるよりも「良い」結果が表れることだってあるだろう。「以前よりおいしくなった」「安くなった」「包装がおしゃれになった」などがそれにあたる。

この場合、品質についての解釈は2通りに分かれる。

一つは、その変化が「嬉しい驚き」として受け止められ、「脳内まんじゅうモデル」が更新されるケースだ。一般に、正の予測誤差は脳にとって学習のトリガーとなるので、一度高い報酬を知ってしまうと、顧客の基準(期待値)は引き上げられてしまい、もう以前の基準には戻れなくなる。

もう一つは、それらが「悪い品質」として評価されるケース。「おいしいが、この店の伝統の味ではない」「安くなりすぎて、贈答品としての格が落ちた」といった反応だ。これは、店が「顧客が商品に何を求めているのか」を見誤った結果といえる。

後者もまた困った問題であるが、前者の「驚き」にも罠がある。その「改善」が本物ではなく、単なるばらつきによるものだった場合、たまたま「当たり」を引いた顧客は、次回、本来の「標準品」を手にしたときに「質が落ちた」と失望することになるからだ。

このまんじゅうの例から分かるのは、品質は単なる品質特性の良い悪いだけを指すのではなく、ばらつきの少なさを含んだ概念ということだ。つまり、品質とは、期待値を高くする力というよりも、ばらつきを抑え続ける力といったほうがいい。

ルマンドっておいしいよね

私は至高のブルボン菓子はホワイトロリータだと信じているのだが、世間的には一番人気はルマンドなのだそうだ。

ルマンドの発売は1974年、50年を超えるロングセラーだ。老人からα世代の子供まで、皆に愛される味といえるだろう。

このルマンド、いつ食べても期待された味、ザクザクとした食感、ちょっと熱に弱くてパッケージにココアクリームがくっついてしまったり、雑な食べ方をすると薄く割れやすいクレープ生地が粉々になってしまったり……良くも悪くも期待通り、まさに高品質菓子といえるだろう。

値段こそ当初より上がっているが、内容量を減らしながらも発売時150円から50年で50円ほどの値上げ幅……物価上昇も考慮すれば、十分に価格変動は抑えられているといえそうだ。

このように「いつも同じもの」を提供することは、実はものすごく難しい。

その鍵となるのは標準作業SDCAサイクルだ。

作業者の経験や上手い下手に左右されないよう、正しいチャンク(動作の塊)を教育し、いつでも同じ標準作業で仕事をする。そして、それだけでは原材料や環境の変動の影響は避けられないので、管理図などで異常を監視し、標準を細かく修正し続けるSDCA(Standardize-Do-Check-Act)を行うのだ。

さらに、設備の更新や製法の合理化など、仕事の仕方を大きく変える場合にはPDCAサイクルが回される。変化の直後には工程が安定しないので、その原因を1つ1つ突き止めて取り除き、安定化を図って新たな標準へと収束させていくのだ。

いやでもみんなOODAループのほうがいいって言うじゃん?

最近、PDCAのことを「遅い」だの「時代遅れ」だのと酷くディスって、即断即決が重視されるOODAループこそ至高、みたいな話をよく見かける。

けれども、そういった意見の中にはOODAループの意味を誤解しているものも多い。

OODAループというのは、訓練や経験を積み重ねて行動選択プロセスを最適化することで、状況をゆっくり分析・解析する時間がないときでも適応した行動をとるやり方だ。これは、例えば一部の新興の製造業が行っている素早い意思決定よりも、和菓子職人が原材料や環境から直感的に作業の塩梅を変える熟練の技に近い。

ではそれらの企業ではなぜ素早い意思決定が可能なのか?といえば、少なくとも部分的には、素早い意思決定に最上位の価値観を置いているからだろう。品質よりも、持続可能性よりも、素早いことが大切、ということだ。

でも、その考え方って、品質が重要なシーンではちょっとヤバいと思う。

素早さ至上という発想は、設計やプロセスが安定しないうちから製品を市場に出し、顧客をテスターにすることでPDCAを回すという品質軽視だったり、「失敗したら市場から撤退すればよい」という組織の持続可能性軽視に根ざしていたりする。

その結果、世に出てしまった製品の中には事故を起こすものもある。品質の軽視が生みだす「一部の製品は高性能でも一部の製品は欠陥を含む」という危険なばらつきは、リチウムイオンバッテリーのような小さな欠陥が重大な結果を招く製品では、発火事故などの致命的な事態の原因になる。

2026年のルマンドは、1974年のルマンドではない!

「老舗」とよばれる店は、OODA的な職人の経験と勘で品質、例えば味を「いつもの味」に保ってきた。これは、必ずしも古い味を頑なに守るということではなくて、実際には多くの老舗は客の好みの変化に合わせて、少しずつその味を変えている。

ルマンドもまた、きっとそうなのだろう。50年前と味が変わらないことが大切なのではなくて、時々の消費者が共有する「ルマンドのモデル=ルマンドのブランドそのもの」に即した味になっていることこそが大切なのではないだろうか。2026年のルマンドの味が、1974年と同じでは困るとさえいえる。

ブルボンが標準的なQC手法を取り入れているかどうかは分からないけれども、少なくとも、彼らが常に「顧客のイメージする通りのルマンド」を売っていることが、ブランドへの信頼に繋がっていることは間違いない。

やっぱりPDCA・SDCAは大事じゃね?

日本には、ブルボンと同じような「暖簾・看板」を守っている製造業がいくつもある。

たとえば積層セラミックスコンデンサという電子部品がある。これはスマートフォンなどの電子機器の中に(数でいえば、半導体製品などよりはるかに)大量に使用されているため、不良品の率が製品の歩留まりに大きく影響する。その世界最大の供給者が日本の村田製作所だ。Made in Japanの絶対的な高品質=ばらつきの少なさが評価されている良い例だろう。

工場の自動化ラインでは「プシュ、シュー」などの空気圧の音が響いていることが多い。この音を発生させている空気圧バルブや空気圧シリンダといった機器の信頼性は、生産ラインが「いかに止まらないか」に直結している。この分野で2位以下に大差をつけて世界トップシェアを持つのが日本のSMCだ。

現代の航空機の機体は大部分が炭素繊維とプラスチックが組み合わされたCFRPという素材でできている。この用途の炭素繊維は日本が圧倒的に強い分野で、東レ、帝人、三菱ケミカルの3社で世界シェア7割だ。膨大な数の繊維の品質に一貫性がなければ、飛行機の強度は設計通りにはならない。

これらの企業の「暖簾・看板」は地道なSDCAと、大胆に取り入れた新技術のPDCAによる安定化により達成されていることは間違いない。これでもPDCA・SDCAは時代遅れだ、といえるだろうか。

まとめらしいもの

QCをやってるふりをして、「品質」という言葉の意味も分かっていない企業は、きっと弱い。製品に「QC Pass」のシールを貼る以上、品質って言葉の意味くらい分かっているだろう、と普通は思われるはずだ。そんな「期待」にすら応えられない低品質企業に将来があるのか、とても心配だ。

今一度確認すると、品質とは、人々の脳内にある自社やその製品・サービスの「モデル」に近い結果を、ばらつき少なく出し続ける力だ。これを忘れたら地獄だぞ?