
2026年3月のイラン情勢
2月下旬のアメリカ・イスラエル共同攻撃で最高指導者ハメネイ師が死亡、後継として指名されたモジュタバ師も負傷(一時死亡説も流れた)したりと、指導部が極めて不安定な状態。
海上の要衝ホルムズ海峡は通行が困難になり、原油価格の急騰と世界的なインフレが進行。イラン国内は空爆によるインフラ破壊とハイパーインフレ、さらに1月に起きた大規模デモへの弾圧の傷跡が重なり、国家存立そのものが「体制崩壊か、さらなる強硬化か」の瀬戸際……そんな緊迫した状況となっている。
日本にも少なくない影響が出始めているこの情勢だが、さて、どの程度の人がイランという国について知っているだろうか?
*注意* 私は現在のイラン政府には数多くの問題があることを認識しているし、とりわけ革命防衛隊は滅びるのが世界とイラン国民のために良いと考えている。以下はイランが親日だとか正義だとかそういう意味の文章ではない。
- 2026年3月のイラン情勢
- 共通点1:一貫した独自の文化・独自の言語
- 共通点2:美しくも険しい国土、そして災害
- 共通点3:契約より関係性
- 共通点4:魔改造文化
- 共通点5:平等な制度、実態は差別(悪いところも共通!)
- まとめ?
共通点1:一貫した独自の文化・独自の言語
文化の一貫性
日本人の多くに共通している感覚として、古来から独自の文化を保持し続けているという誇り、悪く言えば文化の断絶を経験した「文化が浅い国」に対する優越感があるだろう。
イランもまた「ペルシア」として日本以上に長い独自の文化を維持してきた国だ。飛鳥・奈良時代には既にペルシア系と見られる人々が日本に到来していたと考えられているが、彼らは滅亡したササン朝ペルシアの文化を色濃く継承していた。そのササン朝は現在のイラン・イラクを中心にエジプトからパキスタンに至るまでの地域に広がる大帝国で、まさに古代イランの最盛期だったのだ。

イスラム勢力によるササン朝の征服後も、イランはモンゴルやトルコ系民族の支配を受けることになるが、一貫してペルシア文化・文学とペルシア語は保持され、征服民は「ペルシア化」されてしまった。この文化の一貫性こそが日本とイランとの最も強固な共通点だ。
独自の文化を誇るペルシア人には周囲のアラブ人を「文化がない」と意識的・無意識的に見下す人もいるとされ、周囲から鼻持ちならない連中と思われている「中東の京都人」なのだ。
言語と文字の独自性=高度な独自文明
日本語、ペルシア語はそれぞれほぼその国固有の言語(正確にはペルシア語はアフガニスタン・タジキスタンでもかなり広く使われているが)だ。日本が漢字を輸入しつつ改造して和文を作り上げたのに対し、ペルシア文字はアラビア文字を改造したもの、という点もよく似ている。
さらに、ペルシア語と日本語は、欧米の主要語以外で、大学教育を自国語で完結させられる数少ない言語の一つだ。自国語で大学教育ができる国でも「教科書は英語」ということが多い中、日本語・ペルシア語で大学教科書が出版されていることは翻訳に頼らず自分の文化で世界を定義できる証、つまり科学的・文化的な自立の表れといえるだろう。
「イランのような発展途上国が無理して核開発をしている」などという認識は完全な的外れなのだ。
共通点2:美しくも険しい国土、そして災害

イランの国土は日本の4倍も広いが、国土に占める可住地の割合は日本と同じく3割程度しかない。イランはざっくり言えば険しい山と海に囲まれた砂漠の国で、人が住む土地は山と砂漠の間のごく狭い場所に点在している。山と海に挟まれた狭い地域に人口が集中する日本と、人口の分散のしかたが共通している。
また、高山・砂漠に囲まれたイランは空中の要塞と表現されることもあるほど他国との行き来が大変な国だ。海に囲まれ他国と繋がっていない日本と、その点でも類似している。
もう一つの特徴が自然災害――特に地震だ。イランの南西部国境地帯はアラビアプレートとユーラシアプレートの境界にあたり、日本と同じく地震国なのだ。
日本では山がちな地形が地震、台風、豪雪といった災害の被害を起きやすくしている。イランでも険しい地形が地震の被害を大きくし、さらに乾燥した気候は常に干ばつと砂嵐の脅威をもたらしてきた。ペルシア語文学・日本文学がともに自然の美しさを連綿と表現し続けて来たのは、第一に自然の豊かな恵みを受け取る一方で災害によりその恐ろしさも身に沁みていること、第二に災害によるスクラップアンドビルドが自然を克服するのではなく自然と共生する生き方につながったことという、共通した要因によるものだろう。
また、このように、地理的に(ひいては文化的に)閉鎖的で、人が住むのに適さない土地が多く、災害が多い、という環境は、限られたリソースを最大限に活用するための工夫を生むだろう。両国でガラパゴス的に技術が発展したのは、ごく自然なことだったといえる。
共通点3:契約より関係性
義理で駆動する社会
両国民は共通して、紙の上の契約よりも、長い時間をかけて積み上げられる「貸し借り(義理)」を重んじる精神構造を持っている。
欧米のように契約書が社会の基盤となる文化では、約束は文書化され、履行されなければ裁判で争われる。しかし、日本やイランのような関係重視の文明では、約束とは本来、人と人のあいだに蓄積される信頼の総量であり、文書よりも「この人は過去にどう振る舞ったか」が重視される。
日本で冠婚葬祭の香典や長年の取引関係が義理として人間関係を規定するように、イランでも部族社会の伝統として「誰が誰を助けたか」が政治や商取引の基盤となる。
そのため、両国ではしばしば「合理性よりも筋を通す」行動が選ばれる。外から見ると非合理に見える決断が、当事者にとっては共同体の秩序を守るための必然なのだ。この「義理のリアリズム」こそが古代から続く共同体社会の生存戦略で、イランと日本が共有する深層の価値観といえる。
本音と建前の使い分け
義理を立て、筋を通す――それは、関係性を守るための努力といえる。そのためのツールとして日本人・ペルシア人がともに発達させたのが「建前」だ。
イランには「タアーロフ」という文化がある。これは高度な社交辞令や謙遜だ。たとえば、イランのチャイハネ(カフェのようなもので、これ自体が日本のファミレスや居酒屋に相当する文化的共通点の1つ)では会計を巡ってこんな一幕がよく見られるという(怪しい京都弁に超訳してみた)。
- A:請求書持ってきてくれやす、うちが全部払いますさかい。
- B:そんな、あかんて!うちが出させてもらいますえ。あんたはん、前に払うてもろたやろ?
- A:前は前、今日は今日やさかい。うちのお父はんの命にかけて、あんたはんには払わせまへんえ。
- B:お命だなんて、そんな大げさなことおっしゃらんといて。ええ加減にしなはれや。うちの方が稼いどるさかい、うちが払うのが筋どすえ。
- A:筋とか関係おへん!ここはうちの地元みたいなもんやさかい。タアーロフ抜きで、うちに恥かかせんといてえな。
- B:(店員に名刺を押し付ける)もう遅いで。うちのツケにしてもらいましたさかいに〜

完全に、日本のファミレスや居酒屋でよく見る光景と同じである。名古屋や岐阜の喫茶店でオバチャンたちが繰り広げる光景はさらにこれに近い。
共通点4:魔改造文化
日本人は海外から来た文物を魔改造*1してしまうことが得意だと自負している。この点でもイランは日本に負けず劣らずだ。
宗教の魔改造
飛鳥時代に日本に渡来した仏教を、日本人は徹底的に魔改造してしまった。神仏習合を発明し、念仏を発明し、他力本願を発明し……さらに檀家制度という社会システムへの変質までもが行われた。
イランの国教はシーア派イスラム教だ。これはササン朝がイスラム勢力に征服されたことによる教化の結果であるが、ペルシア人はただ教化を受け入れたりはしなかった。当時イスラム教からは既にシーア派が分裂していたが、ペルシア人は異端として弾圧されていたシーア派を受け継いだのだ。そして乱暴に言えばそれをペルシア風に魔改造したものが今のシーア派だといえる。*2
機械の魔改造
かつての航空自衛隊の主力戦闘機F-104Jは、魔改造機体だ。原型となったF-104Gの特徴といえば、核攻撃能力を持ったマルチロール機、そして低信頼性の「未亡人製造機」……しかし、日本では対地攻撃能力を徹底的に削除した上で空戦特化の火器管制装置に換装して超高速迎撃機として完成させ、国内製の高品質部品と航空自衛隊の徹底した整備により世界一低い事故率を達成してしまった。さらに、退役後は無人化改修され、標的機として徹底的にしゃぶりつくした。

イランにおいて似た状況にあるのが「プジョー車」だ。イランには元々多くのプジョー405が走っていたが、経済制裁により部品が入手できなくなると1960年代の旧車「ペイカン」のシャシ(驚くことに405がFFなのに対し、ペイカンはFRだ)に強引に405のボディを架装した車を生産するようになった。さらにフランスにはないピックアップモデルや、それらをベースに部品の国産化率を高めた国民車「サマンド」へと派生し原型を留めなくなっている。サマンドのエンジンは独自モデルとして国産化*3され、天然ガスでも走れるようさらなる魔改造が行われている。

共通点5:平等な制度、実態は差別(悪いところも共通!)
ここまで日本とイランの共通点を肯定的に見てきたが、悪いところだってよく似ている。
関係性を重視する文化では、身内の結束を守るために一度「外」と定義した属性に対する厳しい階層化が行われやすい。日本においては江戸幕府が統治システムの一部として賎民階級を利用したことが良く知られている。
現代日本にもこの構造は生きており、本音を建前で取り繕っている分、江戸時代より質が悪くなっている。外国人の技能実習制度はその代表例だ。外国人に技術を教えるという建前のもとで、本音としての搾取が横行し、さらに彼らに聞こえるように「日本人ファースト」という無神経な主張まで行われる……私にも、あなたにも、その「恥部」に加担しやすい傾向が確かにあるのだ。
イランにもこれに似ていて、しかもイスラムの教義とは無関係な事例がある。その1つがクルド人差別だ。
イランは多民族国家として民族による差別を明確に禁止している。クルドへの差別は問題とされており、様々な対策が取られてきた。だが、それらは建前だ。実態として、クルド人は国境地域に追いやられ、その一部は密輸品を運ぶ危険な低賃金労働に従事させられている。そこでは制度の上では平等に扱いながら、制度外の社会システムにより差別的扱いが固定化されている。これは日本によくある差別構造と類似した形態といえるだろう。
まとめ?
遠い国、イラン。だがその実態は実は日本とよく似た「中東の京都」だ。
宗教や気候では違いが大きい両国だが、このブログでまとめたように意外に共通点が多い。これは、欧米諸国とはやや違う価値観同士、相互理解しやすいことを意味しているだろう。
この魅力的な国に、日本人はもっと興味を持った方がよいと思う。
80年前、石油禁輸という経済制裁をきっかけにアメリカとガチンコのケンカをした日本は現在のイランの先達だ。この国を撃つ砲火に加担することなく「知的な遠くの隣人」の再起を信じ、共に歩む準備をすることこそが、日本の果たせる責任ある役割ではないか。そうすることは、かつて技術と誇りだけで世界に挑んだ、私たち自身のルーツを再確認する旅でもあるのだから。